ハイブリッドでいこう

いいとこ取りを目指して試行錯誤するブログ

忙しさを手放すために線を引く(前編)

忙しいのに仕事が片付かない。

いつの間にか、やらなくてはいけないことばかりが増え、
とにかく必死に目の前のやることをこなす毎日でへとへと。あ、メール見なきゃ。

繁忙期がある業態など、一時的な場合もあるかもしれません。
それはやむを得ません。嵐が去るまで、じっと耐えるしかありません。

しかし、ここでいう忙しさとは慢性的でどこか安心感を得てしまう病的な現象を指しています。

私も社会人なりたての頃は、より早く成果を上げたいと思い、
いろいろ無理をしました。(今思えば無理が足りなかったかも知れないとは思います)

しかし、当然ながらうまくはいきませんでした。

1日の時間の中でたくさんのことを成そうとして
手帳を常時携帯し、手帳の空白を見つけては埋め、
あらゆるスキマ時間を見つけては何らかのタスクで埋めました。

忙しさという現象、
つまり、たくさんのタスクを処理できる自分に自己陶酔し、安心感を得ていました。
もちろん、ここでおかしなことを書いているという認識はあります。
たくさんのタスクを処理できること・忙しさという現象と価値ある仕事は等価ではないからです。

※仕事においては、私は今でも少しでも価値ある仕事をして、お客さんに価値を提供した対価を頂きたいと思っているのは変わっていません

この忙しい状態が慢性的になると徐々に疲労感を覚えるようになり、できるはずのことができなくなり悪循環に陥ります。

まるで空回りをしているような状況に気づいた過去の私は、空回りしている状況を変える一手段として、
ログの記録をはじめとしたタスク管理を始めたというわけです。

余談が過ぎました。本題に戻ります。

2017年年始に読んだ本に「大事なことに集中する―――気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法」があります。
この著書の中で非常に共感できる部分がありました。

“生産性の代用としての多忙: 仕事において生産力や価値があるとはどういうことかを示す、明確な指標がなければ、多くの知的労働者は工業における生産性の指標に戻っていく。つまり、目に見える形で多くのことをなすことである”

「忙しさ」と「価値ある仕事」は等価ではないのにも関わらず、明確な指標がなければ
「目に見える形で多くのことをなす」ことが目的化してしまうということです。

では、「忙しい」状態を脱出する為には、どうしたらよいのでしょうか。

いくつか越えるべきステップが存在すると考えていますが、
まずは、 まとまった時間を確保し集中する時間に充てる ことからはじめるべきでしょう。

具体的な方法として、
先に時間の枠を作ります。
私は2時間を一つの単位として扱っています。

その上でその枠の中で、できることを見つけてタスク割り当て実行します。

面白いことにこの方法を始めると、すぐ枠から溢れるタスクが出てきます。
枠から溢れたタスクは、実行するタイミングを見直すか、実行そのものをやめるしかありません。

頑張って処理すると言うのも手ですが、頑張って処理すると後の時間枠が活用できなくなります。
そして、翌日以降のパフォーマンスへの悪影響という形で繰り越されていきます。

すべきことはもちろんすべきなのですが、すべきことをするのと同じくらいしないことを決めるのも重要なことです。

要は 欲張らないということ です。

枠を設け、線を引くことの最大の利点は、強制的に優先順位付けせざるを得なくなる状態を作り出せることです。

それではまた。

追記: 後編、書きました。こちらです