ハイブリッドでいこうぜ

いいとこ取りを目指して試行錯誤するブログ

記録(ログ)を残すコツは動作の切り替えのタイミングに合わせること

いわゆるライフログというやつだ。

ずいぶん認知が進んだと思うし、それどころか、一時期流行った言葉としてどこか古めかしさすら感じる言葉だ。

私は実は、このライフログを残すのは、もう何年も続けていて、この領域なら大概の人より詳しいし徹底している自信がある。

いろんな事情があるといえ、ライフログを残すこと自体に関心がある人は、共通して時間に対しての問題意識があるはずだ。

この記事では、

「なんとなく、ライフログはあれば良いのだろう」

と、ぼんやり必要性を感じているが

「続かない人」

に向けて、私が試行錯誤の過程で得たライフログを残すコツの一案を伝えたいと思ってまとめている。

なぜライフログが残せないのか?

  1. 面倒である
  2. 無意識下の恐怖
  3. メリットがわからない

大きく分けると、この3つに分類できるのではないか。

※正しく分類をするならメリットがわからないから、面倒だと感じるはずであるが、あえて下位概念を同列に扱う。

1. 面倒である

逐一記録を、残すのは文字通り手間である。何に記録するかというのも大事なことだ。ノートや手帳?スマホアプリ?

私は、iPhoneユーザーなので最近導入したたすくまというアプリと長らく使っているTogglというアプリで管理をしている。

とりあえず、Togglならば、大半の人が使えるはずなので、ここではTogglの利用を想定する。

記録が面倒であるなら、面倒だと感じない工夫があれば良い。

本エントリの結論へ直結するのはコレだ。

※なお、行動の種類によって、いくつか層(レイヤー)にわけて記録しているが、最終的にはすべてGoogleカレンダーに集約するようにしている。

2. 無意識化の恐怖

これは昔、当たった壁の一つだった。ログを残すようになると文字通りありのままの状態が明らかになる。すると、できないダメな自分が見えてくることがある。自分の影に否定され続けるような感覚がなんとなく嫌な気分を作り、事実から逃げるために徐々に都合の良い記録の調整をするようになり、やがて記録自体をしなくなる。

しかし、ダメな自分に気づけたとすれば、ダメなことに費やす時間を減らすなり、よくなるように努力したり次の手が打てる要素になる。

気づけたこと自体、変わるポイントの一つで、変化の余地だ。可能性であるはずなので、避ける必要はない。

この発見自体、本来楽しいものなのだ。自信を持とう。

3. メリットがわからない

実は、日常生活で繰り返して行動していることは多いもので、記録を残さないと忘れてしまう。

自分の記録を頼りに1ヶ月前の今と同じ時間に何をしていたかと思い出そうとしても大抵の人はできないはずだ。

知らず知らずに繰り返しの行動をしていて、良くなるように変えられるはずなのに、気づけないとしたら、勿体無いと思わないだろうか?

なので、記録は残さなくても良いが残さないと記憶に頼ることになり、忘れてしまうものなので基本的に後戻りができないものだ。

記録を残すことで、変えられる余地に気づくことができるのが最大のメリットだと思っている。

もう一つあえて書くとすると、記録を持つことで自分の行動を意識しつつ行動することができるようになるのもメリットの一つだ。悪い習慣こそ意識せずに行なっているのだから。

そこで、記録を残すための手段

さて、前置きが長くなったが結論。

最大のコツは動きに合わせること

これはどういうことか?

今わたしはカフェで席に座りこの文章を書いている。ちょうど動きに合わせてログを残すという説明に良い状況にあるので例にする。

今の状況はこうだ。

「トイレに行きたい」

コーヒーを飲んだのでコーヒーの利尿作用でトイレに行きたいと思っている。この先することは勿論こうだ。

トイレに行くために席を立ち、貴重品をまとめ、トイレに行き、用をたす、用を足した後は再度、席に戻る。

動くのは席からトイレ、トイレから席だ。

実際に行動をするときには意識が切り替わるので、そのタイミングでこれからトイレに行くのだ!という意志を持ち、ついでに記録する。

これがコツだ。

ちなみに、ログを残す単位は、

「、」の単位が区切りといえばわかりやすいだろうか?

  1. 席を立つ
  2. 貴重品をまとめる
  3. トイレに行く
  4. 用をたす
  5. 席に戻る

だ。

ただ、さすがにそこまで逐一残しているとトイレという緊急性があるタスクの場合、トイレが混雑していたりしたならば大変辛い思いをすることになる。

なので、この場合だと私は「席を立つ〜席に戻る」までを一つの単位として「トイレ」と記録する。

※詳しくはまた後日書くとするが、面白いことにこの記録は既に次回以降に使えるタスクになっている。見積もり可能な再現性のあるタスクが実は既にできているのだ。

終わりに

記録は残さなくても良い。

残さなくても良いからこそ、残さない。やらなくても良いことは、やらないのが自然だ。

ただ、記録を残すという少しの手間で、面倒ごとを減らせたり、反省の機会を得たり、変化の機会を得られるのだとしたらどうだろう?

本来、記録に関心を持ったのはこのあたりが原点のはずだ。

大事なことにより時間を使えるようになるために私は記録をずっと取っている。恐らくこれからもずっと記録を残すだろう。

さて、

私はそろそろ限界だ。トイレに駆け込むことにする。

それではまた。